韓国映画「あの日、兄貴が灯した光」(鑑賞番号331)を、
久しぶりに再鑑賞した。
失明した柔道選手が、余命幾ばくもない詐欺師の兄に励まされ
ながら、パラリンピックに出場し金メダルを取るまでを描く、
ヒューマンなコメディ映画。
△仮出所中の兄が取ったと思われる出前のチャジャン麺(シーン①)
この映画では、今さらながらに、小道具(いわゆる「消え物」)
としてのチャジャン麺(韓国式ジャージャー麺)が、韓国映画の
中で果たしている役割の大きさを思い知らされた。
△弟のチャジャン麺を混ぜてあげる兄(シーン②)
この映画の場合、チャジャン麺の登場シーンは合計で4度。
△珍しくチャジャン麺をフォークで食べる弟(シーン②)
シーンの回数としては、特別に多いとは言えない。
△チャジャン麺をスプーンで食べるシーンをアップで(シーン②)
しかし、この映画ではチャジャン麺が登場するシーンのカットが
非常に多く、その分、登場時間も長かった。(ここに紹介して
いるカットは一部に過ぎない。)
△弟は兄がチャジャン麺を取った店の店名「揚子江」を当てた(シーン②)
それだけ、映画の中で重要な展開に絡んでいた、ということだ。
△亡き両親と兄と食べたチャジャン麺は弟の大事な思い出(シーン③)
特に2回目と4回目のシーン。
△またもや「揚子江」のチャジャン麺を出前で取った兄(シーン④)
2回目のシーンは、弟と兄の関係が和解に向かい始めた転換点。
△配達先に上がりこみ届けたチャジャン麺を自分で食べる青年(シーン④)
そして、4回目のシーンは、牧師志望の青年が、兄弟との
関係をぐっと深める転換点。
△おいしそうにチャジャン麺を食べる青年(シーン④)
この時、バイトで中華料理店の配達夫をしていた青年が、
兄に届けたチャジャン麺を自分で食べてしまい、結局、その後、
店(「揚子江」)からかかってきた電話で首を宣告されて
しまった。
たかがチャジャン麺、されどチャジャン麺。
今後とも、韓国映画とチャジャン麺の関係にこだわって
いきたいものだ。
(終わり)
久しぶりに再鑑賞した。
失明した柔道選手が、余命幾ばくもない詐欺師の兄に励まされ
ながら、パラリンピックに出場し金メダルを取るまでを描く、
ヒューマンなコメディ映画。
△仮出所中の兄が取ったと思われる出前のチャジャン麺(シーン①)
この映画では、今さらながらに、小道具(いわゆる「消え物」)
としてのチャジャン麺(韓国式ジャージャー麺)が、韓国映画の
中で果たしている役割の大きさを思い知らされた。
△弟のチャジャン麺を混ぜてあげる兄(シーン②)
この映画の場合、チャジャン麺の登場シーンは合計で4度。
△珍しくチャジャン麺をフォークで食べる弟(シーン②)
シーンの回数としては、特別に多いとは言えない。
△チャジャン麺をスプーンで食べるシーンをアップで(シーン②)
しかし、この映画ではチャジャン麺が登場するシーンのカットが
非常に多く、その分、登場時間も長かった。(ここに紹介して
いるカットは一部に過ぎない。)
△弟は兄がチャジャン麺を取った店の店名「揚子江」を当てた(シーン②)
それだけ、映画の中で重要な展開に絡んでいた、ということだ。
△亡き両親と兄と食べたチャジャン麺は弟の大事な思い出(シーン③)
特に2回目と4回目のシーン。
△またもや「揚子江」のチャジャン麺を出前で取った兄(シーン④)
2回目のシーンは、弟と兄の関係が和解に向かい始めた転換点。
△配達先に上がりこみ届けたチャジャン麺を自分で食べる青年(シーン④)
そして、4回目のシーンは、牧師志望の青年が、兄弟との
関係をぐっと深める転換点。
△おいしそうにチャジャン麺を食べる青年(シーン④)
この時、バイトで中華料理店の配達夫をしていた青年が、
兄に届けたチャジャン麺を自分で食べてしまい、結局、その後、
店(「揚子江」)からかかってきた電話で首を宣告されて
しまった。
たかがチャジャン麺、されどチャジャン麺。
今後とも、韓国映画とチャジャン麺の関係にこだわって
いきたいものだ。
(終わり)