プサンに、朝鮮戦争時の避難民出身者が多く暮らしていることは
知っていた。
しかし、これまで、避難民出身者や避難民家庭に育った韓国人の
話をきちっと聞いたことは一度もなかった。
プサン出身の妻の亡父と母も、元は慶尚北道の出身だが、小さな
事業のためプサンに出てきた人たちだったため、「ヲタク」自身、
妻方の親戚との付き合いの中で、戦争避難にまつわる話はもちろん、
いわんや北朝鮮の故郷の話など聞くいわれも、全くなかった。
9月21日(現地時間)、国連総会の基調演説でムン・ジェイン大統領が、
自らの生い立ちを語るのを聞いて(正確には読んで)、「ヲタク」は
初めて一人の避難民家庭出身者の真実の思いに触れることになった。
△国連総会で基調演説を行うムン大統領(ニューシス)
ここでは、大統領の演説文の中から、関連部分のみ翻訳練習させて
もらった。
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나는 전쟁 중에 피난지에서 태어났습니다. 내전이면서 국제전이기도
했던 그 전쟁은 수많은 사람들의 삶을 파괴했습니다.
私は、朝鮮戦争中に避難地で生を受けました。内戦であると同時に
国際戦でもあった朝鮮戦争は、多くの人々の生活を破壊しました。
300만 명이 넘는 사람들이 목숨을 잃었고, 목숨을 건진 사람들도
온전한 삶을 빼앗겼습니다. 내 아버지도 그 중의 한 사람이었습니다.
잠시 피난한다고만 생각했던 내 아버지는 끝내 고향에 돌아가지 못한
채 세상을 떠났습니다. 나 자신이 전쟁이 유린한 인권의 피해자인
이산가족입니다.
300万を超える人々の命が失われ、なんとか生き延びた人々も平穏な
生活を奪われました。私の父親もその中の一人でした。しばらくの間、
戦火を避けるつもりだっただけの私の父は、結局、二度と故郷に戻る
ことができないまま、この世を去りました。私自身が、戦争が蹂躙
した人権の被害者である南北離散家族の一人なのです。
그 전쟁은 아직 완전히 끝나지 않았습니다. 세계적 냉전 구조의
산물이었던 그 전쟁은 냉전이 해체된 이후에도, 정전협정이 체결되고
64년이 지난 지금에도, 불안정한 정전체제와 동북아의 마지막 냉전
질서로 남아 있습니다.
その戦争はまだ完全に終わってはいません。世界的な冷戦構造の
産物だったその戦争は、冷戦が終わった後も、停戦協定が結ばれ
64年が経過した現在も、不安定な停戦体制のまま北東アジアの
最後の冷戦秩序として残っています。
북한 핵과 미사일 문제로 동북아의 긴장이 고조될수록 전쟁의 기억과
상처는 뚜렷해지고 평화를 갈망하는 심장은 고통스럽게 박동치는 곳,
그곳이 2017년 9월, 오늘의 한반도 대한민국입니다.
北朝鮮の核・ミサイル問題で北東アジアの緊張が高まれば高まるほど、
戦争の記憶と傷が鮮明によみがえり、平和を渇望する心臓の鼓動が、
苦しいばかりに高まる地、それが2017年9月、今日の朝鮮半島、
大韓民国なのです。
전쟁을 겪은 지구상 유일한 분단국가의 대통령인 나에게 평화는 삶의
소명이자 역사적 책무입니다. 나는 촛불혁명을 통해 전쟁과 갈등이
끊이지 않는 지구촌에 평화의 메시지를 던진 우리 국민들을 대표하고
있습니다. 또한 나에게는 인류 보편의 가치로서 온전한 일상이
보장되는 평화를 누릴 국민의 권리를 지켜야 할 의무가 있습니다.
戦争を経験した世界唯一の分断国家の大統領である私にとって、
平和は人生の使命であると同時に歴史的な責務でもあります。私は、
キャンドル革命を通じ、戦争と葛藤が絶えないこの地球村に平和の
メッセージを発した我が国の国民を代表しています。また、私には
人類普遍の価値として、平穏な日常が保障される平和を享受する
国民の権利を守る義務があります。
(終わり)