2011年のゴールデンウィークでは、妻のリクエストにより、
地元、福岡県内にある近場の窯元(かまもと)を訪ねた。
妻は、本来、有田陶器市(佐賀県)に行きたかったのだが、
諸般の事情から、今回は断念せざるを得なかった。
ここでは、今回の小ドライブで撮影した写真の一部を
公開しながら、簡単な旅行記をまとめてみた。
■豊前上野焼と慶尚南道泗川市
△上野焼の里(福岡県田川郡福智町)
福岡県の北九州・筑豊地区を八幡から田川にかけ、南北に
縦断する福智山山系。
その西側の山麓に、有田ほど大きくもなく有名でもないにしろ、
そこそこ名の知れた歴史ある陶芸の里が2ヶ所ある。
鷹取山の西北部(直方市)には、筑前黒田藩の御用窯として
発展した高取焼がある。
そして、鷹取山西南部(田川郡福智町)の山麓にあるのが、
豊前小笠原藩の御用窯として発展した上野(あがの)焼だ。
今回、「ヲタク」と妻と末っ子(小4)の3人が訪れたのは、
この上野焼の方だ。
上野焼の開祖は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折り、加藤清正に
つれて来られた朝鮮の陶工、金尊楷(きんそんかい)。
△上野焼陶芸館
ところで、「ヲタク」は今回の上野訪問で、上野焼の開祖の
名とともに、彼の出身地が、現・韓国の泗川(サチョン)市で
あることを初めて知った。
△グーグルマップより
陶芸館の一角に建てられた石碑の碑文を読み、知った
ことである。
泗川(サチョン)と言えば、「ヲタク」自身、ひょんな縁から
学生時代に2、3度訪れたことのある町なので、ある種の
なつかしさがこみ上げてきた。
△「上野〜泗南 赤池町(現福智町)・泗川市永年友好の碑」
本人らの意思とは無関係に日本につれて来られた
陶工たちの苦労や気持ちを思うと、申し訳ない気もしたが、
「ヲタク」にとっては、この種の新発見は単純にうれしい。
陶器には関心がないながらも、上野を訪れた甲斐(かい)が
あったと言うものだ。
碑文は日本語と韓国語の2ヶ国語で刻まれていた。
日本語の碑文はきれいなままなので、はっきり読み取れる。
しかし、その一方で、なぜか、韓国語の碑文の方は、判読が
難しい状態になっている。
2002年の石碑建立時に、同時に刻まれた碑文のはず
なのに、どうして、こういう現状になっているのか?
残念な気もするし、もし、この韓国語のかすれの背景に、
何らか人為的なものがあったとすれば、悲しいことである。
■かもめの水兵さんと末っ子
上野焼陶芸館のすぐ横に、上野(あがの)出身の童謡作家、
河村光陽の記念碑もあった。
「かもめの水兵さん」や「うれしいひなまつり」、「仲良し小道」
などの作曲で知られる音楽家だ。
末っ子は、記念碑の前に作られた鉄琴を叩いて、しばらく
遊んだ。
■香春岳のサル
福智町上野(あがの)に行ったついでに、久しぶりに同じく
田川郡の香春(かわら)町にある神宮院を訪ねてみた。
△境内の猿塚
長女(高3)が小さかった頃は、ちょくちょくサルを見に
このお寺に来ていたのだが、サルの被害が深刻化し、
お寺でのえさやりが禁じられて以降、ここ10年以上、サルも、
ほとんどお寺には立ち寄らなくなっている様子だ。
△香春岳の中腹にある天台宗神宮院
それでも、もしかしたらと思い、訪ねて見たが、やっぱり
今回も空振り。
サルとは遭遇できなかった。
このゴールデンウィーク、高崎山(大分市)の入り口まで
行きながら、雨のためサル見物をあきらめたのだが、
結局、この春、「ヲタク」家族とサルとの縁はなかったようだ。
推定樹齢800年の大銀杏を見物し、お寺を後にした。
△「そう言えば、このブログに出没していた
サルも、ここんとこ、姿が見えなくなったな・・・」
△「ちょっとさみしい気もします・・・。うふ」
(終わり)
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上野焼と韓国泗川市
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