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韓国映画と群山と福岡

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군산:거위를 노래하다 「(直)群山: ガチョウを歌う」 2018年
(535) 〇〇〇〇-



2018年11月に公開されたインディーズ映画。

監督は、中国朝鮮族のチャン・ニュル


△全羅北道群山市には日本統治時代の建物が多く残っている(映画より)

前半では、日本統治時代の建築物が多く残る群山市(全羅北道)を
訪れた30代のヌナ(年上女性)と後輩の男が、日本式民泊を
経営する父娘と交流する様子が描かれている。


△ヌナは男と別の部屋をとり、男に体を許さない(映画より)

驚いたことに、民泊の父娘は福岡出身の在日韓国人。(ただし、
日本語は標準語。)


△日本式家屋を観光する2人(映画より)

ヌナは、好きな詩人である尹東柱(ユン・ドンジュ、現中国延辺
出身で韓国の国民詩人)が命を落とした場所として、日本の福岡を
記憶していた。


△民泊のテラスで日本の歌を歌う民泊の娘(映画より)

写真の趣味を持つ民泊の主人は、妻を交通事故で亡くした後、
ショックで自閉症にかかった一人娘を連れ、妻の故郷である群山に
渡って来たのだという。

ヌナは民泊の主人に引かれ、民泊の娘は男に興味を持ち始める。

せっかく2人で群山を訪れたのに、部屋も別々で、2人の距離は、
なかなか縮まらない。


△日本式寺院で礼拝するヌナ(映画より)

男と娘は、気晴らしに船で沖合の無人島に渡るが、島の傾斜面で娘が
転落してしまう。男は意識を失った娘を救い出すが、群山の警察からは
娘に対する性的暴行の嫌疑をかけられる。

そして、意識が戻った娘は、病院に事情を聴取しに来た警官と
父親に、はっきりとした口調の日本語で男の無実を証言する。

男は、ソウルに帰った後、ヌナとの関係や生活において、新しい
一歩を踏み出そうとする・・・。

後半、物語の舞台はソウル。

ここで、映画のタイトルがスクリーンに現れ、時間的には2人が
群山を訪れる前にもどる。ある意味で、ここから物語が始まる。

大学卒業後も就職せず、工場を経営する年老いた父親のスネをかじり
ながら、特に評価もされない詩を書き続けている男。

その男が、ある日、街角で開かれていた朝鮮族の小さな集会を見物
していて、偶然、隣に立っている女性が、学生時代、思いを寄せていた
先輩のヌナだと気づく。


△移住民への差別撤廃を訴える集会と2人(映画より)

そして、およそ10年ぶりの再会を喜び、お酒を飲むことに。

ヌナの祖父は1930年代、満州で暮らしていたことがあり、
「もし、祖父が韓国に帰ってなかったら、自分も朝鮮族だった
かもしれない」といい、集会を開いていた朝鮮族や飲食店で働く
朝鮮族女性に友愛の情を示す。

一方、男の家では、母親が亡くなった後、朝鮮族の中年女性を
家政婦として雇っているが、中国の延辺から来た彼女宛の手紙で、
偶然、彼女が尹東柱の遠縁にあたることがわかり、男は感激する。

ヌナは、若い女を作った夫(主人公の男と仲の良かった先輩)と最近、
離婚したばかりで、まだ、「男とは女を傷つけるためだけに、この
世に現れた存在」にしか見えない。


△ソウルの尹東柱文学館を訪れた2人(映画より)

それでも、男と北岳山の麓にある尹東柱文学館をデートしたり、
カラオケを歌ったり、男に誘われるがまま、男の亡き母の故郷で
ある群山を、2人で訪れることに同意するのだった・・・。

日本統治時代の文化や、在日韓国人、朝鮮族、さらには中国人にも
やさしい、多文化が穏やかに共生する精神世界を背景に描かれた、
実にユニークな恋愛映画だった。

そういう意味では、朝鮮族の監督にしか描けない韓国映画だったの
かもしれない。


△「鵞鳥を歌う 鵞鳥よ、鵞鳥よ、鵞鳥よ 曲がった首で天に向かって歌い 
  白い羽は青い水に浮かび 赤い足の裏で波を起こす」

なお、題名にある「ガチョウを歌う」とは、父親の方針で2年間
だけ台湾系の華僑学校に通った経験のある男が、華僑学校で習った
「詠鹅」という詩と舞踊から来ている。さらに、男の家の庭では、
父親が本物のガチョウを飼ってもいた。



(終わり)

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