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韓国に街を作った神父

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내 친구 정일우  「(直)私の友人 鄭日祐」 2017年 〇〇〇〇〇
(537)



2017年公開のドキュメント映画。


△1970年代のソウルのスラム街にて(映画より)

アメリカ、イリノイ州の農家で生まれ、韓国で生涯を閉じた
カトリックの故ジョン・イル(鄭日祐、1935~2014年)神父の
活動と哲学を記録したドキュメントだ。


△彼が暮らし始めた1970年代の清渓川スラム(映画より)

彼は、朝鮮戦争後、カトリック、イエズス会の神父としてアメリカ
から韓国に渡った。西江大学の設立にかかわり、しばらくは大学の
教壇に立ち、英語や哲学を教えた。

そして、民主化運動に参加し弾圧される学生らを支援したことが
きっかけになり、韓国社会とのかかわりを深めて行く。


△1970年代のスラム街(映画より)

やがて、「貧しい人々こそカトリック教会の中心にいるべき」との
信念を深めた彼は、大学の教員をやめ、ソウルのスラム街に移り住み、
住民や撤去民の支援活動に取り組み始めた。


△強制撤去されたスラム街でのミサ(映画より)

彼は、スラム街での暮らしを通じて、「自分がいかに非人間的な
人間であったかを悟った」と述べている。

そして、「カトリック教会が彼らを救済するのではなく、彼らが
教会を救済してくれる」との哲学から、教会に対し、より積極的に
韓国社会にかかわっていくことを訴えて行った。


△神父の胸で泣く撤去民(映画より)

ところで、「ヲタク」が深く感銘を受けたのは、彼が単にスラム街で
暮らし、スラム街に生きる人々と共に闘い、共に泣くだけの神父では
なかった点だ。


△1977年、撤去民らと共に京畿道始興に建設した新しい街(映画より)

驚くべきことに、彼は教会を説き伏せ、融資を引き出し、ソウル
郊外に土地を買い、住宅資材をそろえた。

そして、撤去民たちと力を合わせ、新しい住宅街をつくりあげ、
約200世帯の集団移住を実現させたのだ。


△後日、自分たちで作り上げた街を歩く神父(映画より)

さらに、そのわずか4年後には、借入金の返済を済ませた。


△1995年、神父の還暦を祝う住民たち(映画より)

政府や自治体による住宅政策(公営住宅)がないに等しい韓国の中で、
いわば「カトリック住宅」を建設し、撤去民を始めとした低所得者の
住環境を改善しようとしたのだ。


△街の中心部に広場を作るのも彼のアイデアだった(映画より)

全体から見れば規模は小さく、まさに「焼け石に水」のような
取り組みに過ぎなかったのかもしれない。

また、その活動すら、他のスラム街では住民の協力が得られず、
結果的に挫折していく。

しかし、彼の信念や行動力は多くの人々に勇気や希望を与えた。

1986年には、アジアのノーベル賞とも呼ばれるマグサイサイ賞を、
仲間の活動家とともに共同受賞した。


△農村の小さな教会で信者と農楽を楽しむ神父(映画より)

晩年は、韓国の経済発展から取り残された貧しい農村に移り住み、
仲間とともに「アメリカの実家の庭よりも狭い」農地を耕しながら、
有機農業や農民運動に取り組むなど、生涯を通じ、貧しき人々と
共に生きる信念を貫いた。

没後、彼の遺体は、京畿道龍仁市のカトリック公園墓地に埋葬された。

アメリカに生まれながらも、韓国人(国籍取得)として生き、最後は、
文字通り韓国の土になった神父である。

何とも立派な宗教者がいたものである。

実に見ごたえのあるドキュメンタリー映画であった。




(終わり)

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