■다시 태어나도 우리 「輪廻の少年」 〇〇〇〇〇
(996)
2017年に公開されたドキュメンタリー映画。
△こちらは日本語版
制作陣は韓国のスタッフだが、記録の対象は、
インド北部のラダック地方に住むチベット人の
少年と彼をリンポチェ(転生した高僧)と信じ
世話する老僧。
彼らの会話には、全てハングルの字幕がついて
いる。(老僧はチベット語のみ話し、少年は
ヒンディー語と英語も話せる。)
△チベットの高僧が転生しリンポチェとなった少年(映画より)
チベット族の多く住むインド北部のラダック地方で、
一旦はチベット・カム地方の高僧のリンポチェとされ、
村のチベット寺院に迎えられた少年がいた。
△寺院を追放されたリンポチェと教育役の老僧(映画より)
しかし、中国の国境封鎖とチベット仏教弾圧により
往来が途絶えたカムの寺院からは迎えが来ず、やがて
少年は村の寺院から追放されてしまう。
△厳しくも美しい山々を見つめるリンポチェと友人(映画より)
それでも、彼の教育役である1人の老僧は、少年を
リンポチェと信じ献身的に世話し続ける。
△老僧から経典を学ぶリンポチェ(映画より)
そして、リンポチェの将来を憂えた老僧は、少年を
彼が前世を過ごしたチベット・カム地方の寺院まで
送り届ける決心をする。
△チベットを目指し旅立った2人(映画より)
2人は、リンポチェの前世の街、チベット・カム
地方を目指し、旅に出る。
△チベットを目指し旅する2人(映画より)
2か月にもおよぶ旅の末、2人はチベット
(中国)との国境の街、シッキム州に到着する。
△チベットに接するシッキム州まで到着した2人(映画より)
しかし、結局、2人はシッキム州からもチベットに
入ることはできなかった。
△カムを目指す2人(映画より)
チベットに行っても中国の官憲に逮捕されると
聞かされ、越境を断念せざるを得なかったのだ。
△カムへの道を断念した2人(映画より)
それでも、国境近くの村で、少年をリンポチェ
として迎え、教育を施してくれるというチベット
寺院にたどり着けたのは幸いだった。
△シッキム州のチベット寺院(映画より)
リンポチェと老僧の長い旅はそこで終わり、2人は
別れることになる。
다시 태어나도 우리.
(生まれ変わっても我ら)
この韓国語の題名は、「生まれ変わっても我らの
魂はともにある」という意味なのだろうか。
血の繋がりもない2人が、信仰により育んだ
強い絆(きずな)には、心が洗われる思いがした。
2人の絆は実に尊く、そして美しいと思った。
△りっぱなリンポチェになって再び会いに行くと約束した少年(映画より)
そして、現生で2度と会えない人と会うためになら、
「ヲタク」自身、人間が生まれ変わることを信じたい、
とさえ思った。
△泣きながら別れを惜しむ師匠とリンポチェ(映画より)
映像を通じてチベット人たちの奥深い信仰生活や
ヒマラヤの険しくも美しい自然を世界に伝えた韓国人
スタッフの労苦には、心からの敬意を表したい。
(終わり)
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韓国映画とチベット仏教
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