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朝鮮と森永キャラメル

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수업료   「授業料」 〇〇〇〇-
(1152)



韓国映像資料院のYouTubeチャンネルを通じて、日本
統治時代(1940年)に制作された朝鮮映画を見た。



題名は「수업료」(授業料)。


△劇中の人物名も役者名も朝鮮名<映画より>

原作は、京城(ソウル)の新聞社主催の作文コンクールで
「朝鮮総督賞」を受賞した小学生の作文。


△朝鮮の地理を教える日本人教員<映画より>

病弱な祖母と2人で水原に暮らす男子小学生が
主人公。

彼は、学業優秀で模範的な生徒ではあるが、
授業料を3か月分も滞納していることが気に
かかり、学校に行けなくなってしまう。


△担任の日本人教員が家庭訪問し、学費を支援<映画より>

しかし、担任の教師(日本人)や平沢の親せき、
級友たち、地域の人々、それに教員集団の善意に
支えられながら学校に復帰する。


△級友、学校職員らが少年の学費をカンパした「友情箱」<映画より>

そして最後はハッピーエンド。

行商に出ていた父母の商売も上向き始め、チュソク
(中秋節)には、父母も家に戻り、久しぶりに家族
団らん、幸せな時間を過ごすことができたのだった。


△人の肩に乗って踊る伝統舞踊は現代では珍しい<映画より>

原作やプロパガンダ的な映画の性質上、日本の
植民地支配に対する批判的な視点は全く欠落して
いるが、それでも、十分に見ごたえのある作品
だったと言える。

特に、過去、学校では流ちょうな日本語、家では
朝鮮語という2言語生活を、当たり前のように
こなしていた(強いられていた)朝鮮人(韓国人)が
多数存在していた、という歴史的事実。


△帰り道の平沢から水原までは、親戚の援助でバスに乗れた少年<映画より>

政治体制の激変に加え、80年という長い歳月を
隔ててなお、この映画に登場する少年たちの日本語と
朝鮮語(韓国語)は、現代日本を生きる「ヲタク」の
耳にも、驚くほどストレートに伝わってきた。

当然と言えば当然の話なのかもしれないが、現代の
日本語も韓国語も、1940年の朝鮮に、今に近い形で
存在していたのだ。

言葉に込められた思想は別として、彼らの日本語と
朝鮮語だけは、1940年の真実と見ていい。

この映画を通じて、何だか、歴史を皮膚感覚で
感じさせられたような気がする。


△平沢の親せきからもらった森永キャラメル<映画より>

さらに、森永キャラメルやバス(劇中、水原・平沢
間を走っていた)など、映画に反映していた当時の
朝鮮の世相は、「ヲタク」にとって新鮮でさえあった。


△親戚からは学費とバス代ももらった<映画より>

たまには古典映画を見るのも悪くはない。


△「自動車」は1940年でも今と同じ「자동차」(自動車)。<映画より>

つくづくそう思った「ヲタク」である。


(終わり)


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