日本の山中教授のノーベル医学生理学賞受賞の報は、
韓国メディアでも大きく報じられている。
もちろん、日本メディアほど大々的な扱いではないが、
氏の挫折を乗り越えた人生の逆転劇にスポットを
あてた記事などもあり、関連報道の幅は広く内容も深い。
特に連合ニュースが報じた1本の記事では、「자마나카
(ジャマナカ)」なる過去の氏の別名が日本語のまま
紹介されるなど、強く「ヲタク」の目を引いた。
ここでは、その連合ニュースの記事を翻訳練習させて
もらった。
「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」
という中国の故事もあるが、悩み抜き、そして努力する
「塞翁」にしか幸運も幸福も訪れてくれないことを、氏は
教えてくれているのかもしれない。
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■'자마(邪魔)'에서 '정상'으로
「ジャマ(邪魔)」な男が世界の「頂点」へ
(連合ニュース 10月9日)
유도만능줄기(iPS) 세포를 만든 공로로 금년 노벨
생리의학상 수상자로 선정된 야마나카 신야(山中
伸彌.50) 일본 교토대 교수는 좌절을 딛고 오늘의
영광을 안게 됐다.
iPS細胞(人工多能性幹細胞)を作成した功績で
今年度のノーベル医学生理学賞を受賞した中山
伸弥・京都大教授は、挫折を乗り越え今日の
栄光を手にした。
국립 오사카병원 정형외과에서 연수의로 일할 때에는
다른 의사가 20분 걸릴 수술을 2시간이나 걸려 '자마
(邪魔)나카'라는 소리를 들었다.('자마'는 일본말로
'걸림돌')
国立大阪病院整形外科で研修医として勤務していた頃、
他の人が20分で済む手術に2時間もかかり、「ジャマ
ナカ」という別名をつけられた(日本語で「ジャマ」は
「妨げとなるものや人」の意味)。
절망한 그가 기초과학 연구로 방향을 바꿔 미국에 유학
하고 돌아온 뒤에는 우울증 증세까지 보였으며 연구를
포기하고 임상의로 돌아갈까 고민하다 나라(奈良)첨단
과학기술대학원 대학에 채용되면서 안정된 연구자의
길로 들어서게 됐다. 사진은 노벨상 확정후 9일(현지
시간) 교토대 기자회견장에서 야마나카 박사
(오른쪽)가 눈을 감고 내조자 치카 여사의 이야기에
귀를 기울이는 모습.
絶望した彼は基礎科学の研究へと方向転換し、アメリカに
留学した。しかし、日本への帰国後、研究環境の違いなど
から半分うつ状態にまでなった。研究をあきらめ臨床医に
戻ることも考えたが、奈良先端科学技術大学院大に職を
得たことで安定した研修者の道を歩むことになった。写真は
ノーベル賞受賞から一夜明けた9日、京都大学で記者
会見に臨んだ山中教授(右)が目を閉じ、妻・知佳さんの
話に耳を傾けている様子。
△「え?こんな夜に『我的未来不是夢』を
聞くヲタクさんって・・・、やっぱり素敵です。
うふ」
△「今夜は、アメンボーピグを
やらないのか?」
(終わり)