△アミ洞の様子
2016年夏のプサン訪問時、「ヲタク」がアミ小学校近辺から
甘川文化マウルまでのきつい坂道を歩いて登ったことは、当ブログにも
記録している。(関連ブログ記事)
△Daum地図より
しかし、その際、目にした「비석문화마을(碑石文化マウル)」については、
道すがらに目に入る壁画アートや造形物と関連付けるくらいで満足し、
特に感銘を受けたり注意深く観察することもなく通り過ぎてしまった。
△アミ洞の展望台
勾配のきつい道を歩いて登ることで精いっぱいだったのだ。
△アミ洞の様子
ところが、つい最近、その時、「ヲタク」が歩いた道周辺のかなりの
部分が、日本統治時代には日本人の共同墓地であったことを知った。
※参考資料 ①日本人共同墓地 ②アミ洞火葬場(旧・釜山府営火葬場)
③アミ山共同墓地(釜山でお昼を)
「碑石文化マウル」の「碑石」とは単なる石碑のことではなく、有り体に
言えば日本人墓地の「墓石」のことだったのだ。
朝鮮戦争の混乱時、共同墓地に住み着いた戦争難民らが、墓石を
住宅の基礎や石垣、階段などに資材として利用したのだ。
「ヲタク」自身は、まだ、この目で確認していないが、現在でも、街の
路地裏を歩けば、あちこちで旧墓石を目にすることができるという。
△Daum地図ストリートビューより
夏の訪問時に「ヲタク」が注意を払わなかった街角の説明文(上記画像)
には、この街のそうした歴史的経緯が包み隠さず記してある。
△説明文(上記画像)の一部拡大
説明文の最後は次のように締めくくられている。
△説明文(上記画像)の一部拡大
・・・・・・・・・
현재 서구청의 적극적인 지원과 주민들의 자발적인 참여가 어우러져
비석이라는 부정적인 이미지를 탈피하고, 도시재생, 산복도로 르네상스
사업 등으로 인해 소통과 화합의 희망적인 밝은 마을로 바뀌어가고 있다.
現在、西区役所の積極的な支援と住民の自発的な参加が一体となり、
碑石(墓石)という否定的なイメージを脱皮し、街の再生、山腹道路
ルネサンス事業などにより「交流と和合」の希望に輝く街に変わり
つつある。
・・・・・・・・・
それにしても、アミ洞の日本人墓地には、江戸時代(草梁倭館)からの
歴史を持つ数多くの日本人の墓石も移転され、いっしょに供養されて
いた、とのこと。
次回以降、この街を通る時には、必ず両手を合わせ、せめて心の中で
お念仏をとなえたいと思う。
なお、過去、釜山で命を落とした日本人の供養の場としては、現在、
金井区トゥグ(杜邱)洞の市営墓苑内に、「日本人慰霊碑」(日本人
墓地移転供養の碑:関連資料)と日本人の位牌堂が設置されている。
(終わり)
参加カテゴリ:地域情報(アジア)
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アミ洞の碑石は墓石
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