1930年代後半、ソ連のスターリンは、日本をにらんだ軍事的な
理由から、沿海州に居住する朝鮮人のほとんどを「敵性国民」として
中央アジアに強制移住させた。
そのことは、おおよそ「ヲタク」も知っていた。
しかし、その移住先の中心がウズベキスタンであったことや、
現在、旧ソ連圏で最も多くの高麗人が居住している国がウズベキスタン
であることまでは知らなかった。
△釜山中華街のウズベク料理店。店名のUCHKUDUKはウズベクの都市名。
旧ソ連在住の韓国・朝鮮人は、民族語である韓国(朝鮮)語では
「고려인(高麗人)」と自称しているが、ロシア語では英語と
同じく、韓国人も朝鮮人も高麗人もみな同じだ。
△上記料理店と同じ
近年、韓国は、中国朝鮮族を中心とする「在外同胞」に特別な
法的地位を認め、韓国での就労や韓国への移住に大きく道を開いた。
△ウズベク料理店(金海市)
そうした韓国の政策変化を受け、旧ソ連崩壊後、主要民族を中心とする
民族主義的な言語政策が強化されるウズベキスタンを中心に、ロシア語
しか話せない高麗人やより豊かな生活を夢見る高麗人の多くが、先祖の
地に未来への活路を見出すべく、韓国に「還流」し続けているのだ。
△ベシバルマックとはカザフ、キルギスの民族料理名(金海市)
関連資料によれば、現在、4万人以上のウズベク人(その多くが
高麗人)が韓国内に居住しているとのこと。
△ロシアレストラン「サマルカンド」(プサン中華街)
2017年夏のプサン訪問時、そうした基礎知識を得た「ヲタク」は、
プサン中華街のサマルカンド(ウズベキスタンの古都)というロシア
料理店で、生まれて初めてボルシチ(牛肉と野菜のロシア風スープ。
ロシア語、韓国語では「ボルシ」)と黒パンを賞味した。
△サマルカンドの黒パンと浅漬け風サラダ
思い入れを抜きにして、「ヲタク」が料理を食べて感動したのは、
実に久しぶりのことである。
△サマルカンドのボルシチ。これで6000ウォン。
それくらいこの店のボルシチは美味であった。
△よく煮込まれた牛肉も大きく美味だった
店主に聞くと、昔、プサン駅前にあった「サマルカンド」とは
直接の関係はないとのことだった。
少しがっかりしたが、聞かなければ誤解し続けていたはずなので、
事実が知れてよかった。
おそらく、駅前の旧「サマルカンド」も、何らか高麗人と関係の
ある店だったことくらいは推測できる。
ちなみに、サマルカンドの店内のテレビ画面からは、YouTubeを
通じて、ウズベキスタンの流行歌が流されていた。
△テレビ(モニター)からはYouTubeの動画
「ヲタク」には、その音楽が、ロシア風というより、ペルシャ風、
あるいはアラビア風の音楽に聞こえてしかたなかった。
最後に、プサン中華街には「サハリン」なる店名を持つ店もある。
△プサン中華街の「サハリン」商店
推測するに、サハリン在住の高麗人(多くは日本の強制徴用で
サハリンに連れていかれた朝鮮人労働者の子孫)と何らかの
縁故のある店なのだろう。
(終わり)
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ウズベクと釜山とボルシチ
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