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ナパーム弾少女と韓国

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ベトナム戦争の惨状を世界に知らしめた報道写真
「戦争の恐怖」(1972年6月撮影)の主人公、キム・フックは、
現在、カナダに住み反戦活動を続けているとのこと。

1973年のピューリッツァー賞を獲得した同報道写真が
撮影されてから40周年を迎える、この6月1日、複数の
韓国メディアがアメリカ発の外信報道として関連記事を
報じていた。

テレビニュースから流れていたベトナム戦争をかろうじて
記憶に残している「ヲタク」としても、実に感慨深いものが
あった。

米軍のナパーム弾(強力な油脂焼夷弾)により大やけどを
負ったキム・フック(1963年生まれ)が、「ヲタク」と
同じ年齢であったことは、うかつにも、今回の関連報道を
通じ初めて知った。

・・・それにしても、この間、世界はベトナム戦争の悲劇から
何を学んだのだろうか?

一説によれば、米軍は、ベトナム戦争において、第2次
世界大戦中、全参戦国が使った爆薬の8倍をも上回る
量の爆薬を、あの狭いベトナムの地にスコールのように
降り注いだ。

それでも、米軍はベトナムに敗れた。

たとえ旧ソ連や中国の支援があったにしろ、民族独立を
求める被抑圧民族のエネルギーが、超大国の干渉を
打ち破ることができるということを、ベトナムは、世界史の
中で証明して見せた。

皮肉なことに、ベトナムの民族解放を支援した旧ソ連は、
その後、アフガニスタンへの内政干渉(戦争)に失敗した
ことが大きな引き金となり、体制ごと崩壊した。

一方でアメリカは、ベトナム戦争敗北の大きな要因の
一つに国内外で高揚した反戦世論があったと見て、
以後、国内外の反戦世論を喚起するような戦場報道を
厳格に規制し始めた。

ベトナム戦争後のアメリカメディアの戦争報道が、まるで
テレビゲームの画面のような報道になってしまったのは
そのためだ。

ここでは、「ヲタク」に多くのことを考えさせてくれた
韓国メディアの関連報道の中から、一つだけ、ニューシスの
フォトニュースを翻訳練習させてもらった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

■퓰리처상을 받은 '네이팜탄 소녀' 사진
ピューリッツァー賞を受賞した「ナパーム弾少女」の写真
(ニューシス 6月1日)

【짱방(베트남)=AP/뉴시스】지난 1972년 6월8일
베트남 남부 짱방 지역 인근 1번 도로에서 당시 9세인
소녀 킴 푹을 포함해 아이들이 울면서 뛰어가고 있다.
[チャンパン(ベトナム)=AP/ニューシス] 1972年6月8日、
ベトナム南部の町、チャンバン近郊を走る道路1号線の
上を、当時9歳だった少女、キム・フックを含む数人の
子どもたちが泣きながら走って逃げている。

네이팜탄이 떨어지면서 불길이 옷에 옮아붙자 푹은
옷을 벗어 버리고 뛰어갔고, 그는 훗날 '네이팜탄
소녀'로 불렸다. 한편 AP통신의 후잉 콩 우트 기자가
찍은 이 사진은 베트남 전쟁을 참혹함을 그려
퓰리처상을 받았다.
炸裂したナパーム弾の火の粉が服に燃え移ったフックは
服を脱ぎ捨て裸で走って逃げ、後日、「ナパーム弾少女」と
呼ばれた。一方、AP通信のベトナム人カメラマン、フィン・
コン・ウトが撮影したこの写真は、ベトナム戦争の惨劇を
世界に知らしめた功績でピューリッツァー賞を受賞した。







△「評論家気取りが、
そんなに楽しいのか?」






△「そんなことより、ジョン・レモンの反戦歌
探していたのに・・・、結局、気がついたら
ラブソングを聞きながら涙ぐんでいた
中年男ってヲタクさんのことですか?うふふ」






(終わり)



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